新潟と熊野修験

裸形上人開山とされる新潟の関山神社は
新羅明神を祭っているのですが、
白山修験と熊野修験が共存しており、
白山は新羅の白頭山に拠点を持つ
花野の山岳修行に通じています。

関山神社の祭神を見てみると、
国常立尊(関山大権現・聖観世音菩薩)
伊弉冉尊(白山大権現・十一面観世音菩薩)
素盞鳴尊(新羅大明神・騎獅文殊菩薩)の
三神とされスサノオが新羅の神ですね。

対馬には新羅の痕跡が数多く残され、
津島神社の御祭神もスサノオなので、
やはり安曇族で繋がっていそうです。

『新井市史』では聖観世音菩薩像について、
胸飾りの形式や胸に表れた下衣の縁、
背中のところに表れた下衣に見られる
パルメットの文様が法隆寺金堂の
釈迦三尊像の脇侍と関係するとし、
朝鮮三国時代(600年代)の遺品が、
この地に伝わったものと推察しています。

法隆寺夢殿観音にも似た雰囲気ですが、
聖徳太子の夢殿が八角形とされるので、
鬼道の八とも関係していそうです。

このパルメット模様については
『平将門の深層』に書いたのですが、
新潟と言えば北関東からも遠くなく、
関係性が存在していたとすれば、
より古層に関係するかも知れません。

この地方に弥勒信仰が存在していましたが、
花郎も弥勒信仰を保持していたので、
役小角と新羅で会った伝承が存在する様に、
修験道と花郎は密接に関係しています。

これらから関山神社を開山した裸形上人は
役小角に関係する可能性は高そうですが、
数百年前に那智で修行した裸形上人と
同一人物かはよく分かりませんね。

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