和歌山の熊野の話題ばかり
取り上げて来ましたが、
三遠にも無視する事のできない
熊野神社が存在しています。
浜松市の高塚熊野神社の創建は
後三条天皇の延久年間と口伝され、
熊野本宮の神主が諸国行脚の途中、
この地に足を留めて祭祀し、
熊野三社権現と称えられます。
後三条天皇の時代と言うのが、
余りにも大きな問題なのですが、
詳しく説明しないと分かりませんね。
熊野参詣を行いシステムを整備した
白河上皇の先代が後三条天皇で、
この天皇から藤原氏を廃し、
院政が始まったとされています。
天皇の即位式で行われる密教儀礼の
輪王灌頂(りんおうかんじょう)も
後三条天皇の即位式が最初とされ、
聖天法と吒枳尼天法が修されたそうです。
最初に伏見稲荷に行幸した天皇とされ、
後醍醐天皇に連なる流れへの影響が
多大な物があるのは間違いありません。
南朝で重視された愛染明王は、
後三条天皇の即位祈願や
白河天皇の病気平癒祈願で
本尊とされた明王だそうで、
ダイレクトに南朝に繋がります。
まだ熊野が朝廷のバックアップを受けず、
熊野が地方の一霊山であったのが、
大々的に盛り上がる契機となった時期に
三遠に熊野三所権現を建てたのであれば、
背景に何も無かったと言えるでしょうか。
この時期から源平の武士の時代に入り、
熊野高塚神社建立の後に熊野が隆盛し、
源頼朝により先住民族祭祀が復興され、
南朝が三遠に王朝を復興したのであれば、
一連の流れに隠された領域がありそうです。
三遠と熊野の関係は他にもありますが、
関係者と余り話が出来なかったので、
どこまで出して良いかは微妙ですが、
要望があれば参拝企画でも。