豊橋市牛川町の熊野神社は、
道路工事前は鬱蒼とした林の中に
ひっそりと鎮座してましたが、
社殿も新たに建て替えられました。
この神社の創建は不明とされ、
調べてみると以下の様なものを
見つける事が出来ました。
熊野神社の創建には諸説あり
1説は欽明天皇の御代(538-571年)、
村で大木の梢が光ったり、
神の化身と思われる人物が現れ詩を詠んだり、
子供が神がかりになり
熊野神社からの神託を口にしたりと
不思議な出来事が続いた為、
熊野神社の分霊を勧請したと
伝えられています。
1説は崇神天皇の御代(B.C.97-B.C.29年)、
徐氏古座侍郎という人物が
常寒長山の里(現在の豊川市下長山町)に
熊野権現を勧請し崇敬したところ、
多くの作物が取れ館を構えたと伝えられています。
一般的には平安時代に編纂された
「三河国内神名帳」に記載が無い為、
それ以後に勧請されたと推定されています。
中世に入ると領主である牧野氏から崇敬庇護され、
享禄元年(1528)には牧野成勝が社殿を改築しています。
初めの説は那智の裸形上人より後で、
熊野からの勧請は分かりますが、
後の説は那智より古い話になります。
問題になるのが常寒の里の記述では
那智より前に熊野権現を勧請しており、
『牛窪密談記』にはトコサブの地の
徐福伝承が書き残されているので、
徐氏は徐福を意味していそうです。
となると熊野信仰は徐福が持ち込み、
牛川熊野神社は徐福由来の熊野神社と
言う事になるのでしょうか。
この神社の周辺情報は押さえてあり、
出せる情報を持ってはいるのですが、
出して良いかは微妙な部分があります。
牛川熊野神社周辺も古代の聖地として
復興させる価値はあると思っていますが、
やはり人の問題が根本にあるので、
認知の拡散が前提条件となりますね。