笠置寺には焼けた磨崖仏があり、
巨大な弥勒菩薩像の姿に圧倒され、
この由来が知りたくなります。
これには二つの伝承が残されており、
『笠置寺縁起』にはこうあります。
天武天皇がまだ大海人皇子の頃、
獲物を追って山頂の岩の上に駈け登ると、
突然現れた大鹿に馬が驚きたじろぎ、
眼下に千尋の谷があり進退きわまった時、
弥勒に祈念する事で難を逃れます。
皇子は岩上に笠を置いて帰り、
後に笠を探すと一羽の白鷺に導かれ、
笠の置かれた岩に至ったので、
その岩を笠置(かさぎ)石、
山を鹿鷺(かさぎ)山と称し、
巨岩に弥勒像を彫って報謝の意を表し、
伽藍を建立したと伝えられます。
他にも天智天皇の皇子と関係する
伝承も残されていますが、
いずれも壬申の乱の少し前に、
磨崖仏が彫られたとしていますね。
しかし岩上に笠を置くとか
巨石過ぎて無理な気もしますが、
この写真では小さく見えるものの、
15mもの巨石にどう彫ったのかは、
この伝承からは分かりません。
笠置山では大岩石の前から
弥生時代の有樋式石剣が発見され、
天武天皇や役小角の時代より
遥か以前から山岳信仰の聖地と
認知されてきた事は確かでしょう。
どう見てもこの山は巨石信仰で、
縄文からの聖地だと思われますが、
だいだらほっち伝承等は無い様で、
寺の縁起もそれ以上思索をさせない
一定ラインに止めておく目的が
存在している感じを受けますね。
伝承を知らずに笠置寺を巡れば、
巨石群のスケールに圧倒され、
古の姿に思索を巡らせます。
ここに行く機会があるなら、
伝承を全て忘れて雰囲気を味わい、
古に想いを馳せる事をすれば、
新たな歴史的発見に繋がる仮説が
提唱できそうな雰囲気がありますよ。