豊川市御津町の蔵王神社は、
天明元年(1781)創建とされ、
国常立尊を御祭神としています。
三河吉野朝の本を読に記してある所では、
この蔵王神社の御祭神は後醍醐天皇とされ、
こちらの説が事実であるとする根拠に、
地図上での様々な三河の聖地の関係図が
描き記されているものがあります。
南朝の時代は1300年代の話になるので、
神社創建の伝承が正しいか否かの
根拠を洗う必要が出てきますね。
蔵王権現は修験道の神なので、
国常立尊が御祭神とされるのは、
何らかの裏を感じさせはします。
修験道のメッカが吉野とされていますが、
渥美半島の蔵王山が吉野の蔵王山より前なのは、
『東三河の徐福伝承』に書いておきました。
南朝は吉野に籠った事から吉野朝とも呼ばれ、
修験との繋がりが深い事は確かですが、
南朝と修験の関係は余り語られません。
蔵王神社の奥宮は寒佐神社とされていますが、
寒佐神社は徐福が拠を構えたトコサブの地に
由来している雰囲気を感じさせます。
徐福と言えば寒川神社も視野に入りますが、
寒はダジャレでなく祭祀的な意味がある事を
寒川神社で聞いたのですが忘れてしまい、
清浄で済みきった類いのイメージしか
記憶に残っていないのが痛いですね。
詳細を知りたい方は寒川神社に参拝に行き、
ネットでなく情報を足で稼いでみて下さい。
蔵王権現は役小角の感得した修験の神で、
後醍醐天皇の皇子にも関係していますが、
天皇が修験の神を祀ったとするのを
良しとする事が出来なかったのでしょう。
渥美半島の蔵王山が本来の蔵王山のルーツで、
日本第一の霊位とされていた伝承については
『東三河の徐福伝承』に書いておきましたが、
長安の様に栄えたと記された渥美半島を、
南朝が復興していたならロマンがありますね。