古代ギリシャと法隆寺

朝鮮半島の中でも新羅には
ギリシャ・ローマの痕跡が
見受けられるとされますが、
法隆寺もギリシャとの関係が
指摘されてきています。

ギリシャの神殿建築に見られる
柱のふくらみをエンタシスと言い、
パルテノン神殿の膨らみながら
細くなっていく柱が有名ですね。

建築家である伊東忠太氏が、
明治26年(1893)に書いた論文に
法隆寺とギリシャ神殿建築の柱の
関連が説明されたそうです。

大正8年(1919)には和辻哲郎氏が
「古寺巡礼」で法隆寺金堂の柱に
ギリシャ建築のエンタシスが
影響があると発表しています。

ギリシャと日本の関係については、
法隆寺だけでなく神話の類似性など、
色々と指摘されてきていますね。

この周辺は『東三河の徐福伝承』に
詳しく説明しておきましたが、
一応この仮説で筋は通るので、
私的には今更な話になっています。

日本のギリシャの中間に伝播の痕跡が無く、
それ故に否定されてきた話ではありますが、
現時点で見つかっていないと言うだけで
無い決めつけたら後で物証が出る事は
普通にあるジャンルではあります。

法隆寺と言えば聖徳太子ですが、
彼とギリシャの接点はないので、
信仰的な系統が違うのでしょう。

徐福がギリシャ文化を持ち込んだと
私説を広めている身からすると、
神話以外に建築物などもないかと
探してみたくもなりますが、
法隆寺がギリシャ神殿ならビンゴです。

仏教とギリシャとは信仰的に関係ないと
一般的には思われるかも知れませんが、
アショーカ王が仏教を始めとした
様々な宗教を保護して磨き会わせており、
仏教とリンクしていても問題ありません。

と言う事は法隆寺で行われていた仏教は、
説一切有部と言う事になりそうですね。

古代神道を研究したいのであれば、
国内にみに目を向けるのではなく、
ギリシャ哲学等を含めた包括的研究が
必須となって来る事でしょう。

法隆寺がアレクサンドリアにおける
東西融合によって生まれた建造物なら、
法隆寺以外にもギリシャの影響のある
建築物があったのかも知れません。

歴史に詳しい方ならこの部分を
時代的な問題から否定する人が
出てくるかも知れませんが、
『東三河の徐福伝承』の中に
その回答も書いておきました。

アレクサンダー大王の東征によって
ギリシャ彫刻風の仏像が造られたので、
ギリシャ建築風の寺院が造られていても
全く不思議はない事になりますね。

徐福王朝の実相を追及する事により、
まさしくアレクサンドリア大図書館を
思わせるだけの知的レベル底上げに
繋がっていきそうな雰囲気です。

古代ギリシャと日本は共通項が多く、
ギリシャにもウブスナ神の信仰があり、
神道への理解も深まりそうです。

神道や仏教の関係者も視野を広く取り、
プラトン全集にでも目を通してみると、
新たな発見があるかも知れませんよ。

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