津島と武内

津島神社境内には弥五郎殿社が鎮座します。

津島神社社家紀氏の祖神の武内宿禰を祀り、
南北朝時代に南朝の忠臣楠正行とともに
四条畷の戦(1348年)で戦死した
堀田一族の堀田弥五郎正泰が造営した事が
その名の由来とされているようです。

祭神は武内大臣と平定経で、
本来の社名は左太彦宮であり、
堀田弥五郎正泰が夢を見て
崇め奉る事となった事から、
弥五郎殿と呼ばれた事が、
『浪合記』に記述されています。

弥五郎殿の説明板にはこうあります。

武内宿祢の子孫の堀田弥五郎正泰が、
正平元年(1346年)に造替した縁故を以て
弥五郎殿とした

これらを見ると分かりますが、
堀田弥五郎は南朝側で戦った人物で、
楠木正行に従い四条畷で死んだとされ、
津島神社と南朝の関係が分かります。

津島神社と織田信長の関係も切り離せませんが、
織田家は忌部氏で神道に通じていたので、
信長が天皇を蔑ろにしたとする伝承も、
当時の天皇が北朝側であったからでしょうか。

津島神社を参拝した時に感じるものがあり、
弥五郎殿参拝から南朝がやけに気になり、
記事を書くまでに至っています。

問題となるのが武内宿禰の存在ですね。
南朝と武内文書の関係は切っても切れず、
南朝の怪しさを引き立てています。

大きなテーマなので別に譲りますが、
南朝で語られた歴史や神話は、
『神皇正統記』に見られるような
日本書紀の様な物だったのでしょうか。

津島神社はスサノオを祀りますが、
牛頭天王と呼ばれるのは何故でしょう。

牛の頭の二本の角を意味しているのであれば、
表立っては祀れない鬼神の暗喩であり、
花祭に登場する鬼と関係するのでしょうか。

スサノオは出雲神であり伊勢外宮と同系で、
鬼神が出雲神祭祀であったのであれば、
卑弥呼の用いた鬼道も出雲祭祀なのでしょう。

織田信長は津島神社を氏神としており、
ここの経済力を活用して力をつけています。

津島神社は三遠にはありませんが、
渥美半島から船で移動するのは簡単で、
尾張の金銀は全て津島を経由すると
言われた程の尾張最大の商業都市であり、
古から海洋交易の拠点であったなら、
ここが日本総社とされたのも分かります。

ええじゃないかの研究において、
この津島神社からも舞の伝播があり、
深層で繋がっていると研究していますが、
ええじゃないかと津島神社の関係も
中々に深いものがありますね。

出雲の地では銅鐸や銅鉾が出土し、
祭祀の痕跡が見てとれるとされますが、
三遠式銅鐸の出土するこのエリアに
出雲神祭祀が無かったとするのは
かなりの無理がありそうです。

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