津島神社は社伝によると、
欽明天皇元年(540)に鎮座し、
弘仁元年(810)に正一位の神階と
日本総社の号を奉られたそうです。
今まで歴史を研究している立場から、
壬申の乱以前から存在した神社で、
乱の後に日本総社の名を受けたなら、
その背景を探りたくなります。
この津島神社も様々な謎をかかえ、
南朝との関係を探る上において、
重要な位置付けとなりそうです。
南朝との関係もさる事ながら、
それ以前の歴史にも謎が存在し、
津島は対馬に由来するとされますが、
対馬には謎の天童信仰が存在します。
これも壬申の乱が内乱ではなく
侵略戦であったとする根拠の一つで、
対馬と安曇族との関係などから、
様々な事が明確になりそうです。
津島神社と信長との関係なども
研究すると面白いテーマですが、
邪馬台国から南朝を経由し
信長やええじゃないかに関わる
中々に凄い神社であるのに、
マイナー感があり寂しいですね。
東三河の津島社を調べてみると、
津島と書いていながら別の存在を
隠して祀っているケース等があり、
参拝時に歴史の深さを想像すると、
深いものを感じる事が出来そうです。
南朝の皇族関係者を隠して祀る時に
津島社と秋葉社で祀られる事があり、
由緒不明な神社に津島と秋葉が祀られ
悲痛な物悲しさを感じさせていると、
どうしても南朝を連想させます。
長慶天皇の墓とされる神社にも、
秋葉と津島がペアで祀られており、
三河吉野朝の研究においては、
双方を南朝天皇としていますね。
もう片方の秋葉神社については、
本には色々と書いておいたのですが、
出版がいつ頃かはまだ未定です。
南朝関係の神社をまわると、
悲愴な感じを受けますが、
未だに解消されないこの国の
トラウマとして存在するのが
南朝なのかも知れません。