二つの朱雀の時代

社伝では、安久美神戸(あくみかんべ) 神明社は
天慶三(940)年に平将門の乱が平定されたとき、
朱雀天皇により伊勢神宮へ飽海荘を神領として
寄進したとしています。

この神社にも、伊勢の神宮を今の場所に遷すまでに
元伊勢と呼ばれる地を転々とした倭姫の伝承があります。
倭姫の書は三冊ほど残されていますが、
本により違った元伊勢の場所が記されており、
倭姫の墓と伝えられる島が渥美半島にもあります。

この神社は朱雀天皇の御世と関係付けられていますが、
「豊橋三大祭の深層」や「花祭:太古の鬼神の謎」等で、
壬申の乱でこの地が戦場となり鬼の祭をしていた民が
奥三河をはじめ様々な地に移動したとする説を出しました。
壬申の乱の勝者が天武天皇とされていますが、
幾つかの疑問があり実際は逆であったのではと睨んでいます。

天武天皇の世も朱鳥(朱雀)の年号があてられていますが、
壬申の乱が終わり朱鳥の時代に入り造られた神明社が
後に朱雀天皇と関係付けられたのでしょうか。

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