東三河には兎に纏わる神社が複数存在し、
兎足神社、兎頭神社と関係がありそうな
特殊な名称が見受けられます。
兎足(ウタリ)神社は兎の神輿があり、
特殊な祭でも知られてはいますが、
南朝との関係も指摘されています。
豊橋南部に鎮座する兎頭神社では、
祭神を月読命としていますが、
寛文十一年(1671)の高塚村免定書付は、
「戸とうの宮様」と記しているので、
本来の呼び名はトトウに近いのでしょう。
明治二年の神社巨細取調書は
「トトフの大明神」とされており、
初期から兎と関係していた訳では
無さそうな雰囲気ではありますね。
となると兎足と兎頭の関係も微妙で、
兎と月の繋がりは後付けなのでしょうか。
日本神話では記述の少ない月神ですが、
ギリシャ神話やエジプト神話などでは
かなりのポジションを占めています。
兎頭などは当て字でしかないのなら、
本来の名称は外来語であって、
トトウも本来の語感と違う可能性も
全く無いとは言い切れませんね。
日本語と外来語では発音も文法も違い、
ねえ、ちゃんと風呂入ってる?と
姉ちゃんと風呂入ってるを掛けても、
翻訳すると意味が通らなくなります。
東三河と兎神との関係を探っていくと、
南朝の深層に突き当たる事になります。
東三河に徐福渡来伝承が残されており、
トトウが徐福の持ち込んだ外来系なら、
南朝の深層を解き明かす鍵となりえる
重要な神である可能性があります。
兎神と南朝天皇の関係については、
じっくり掘り下げて行こうと思います。