伏見稲荷と狐

大和時代の伏見の秦氏の伝承に、
秦大津父(はたのおおつち)が、
稲荷山で二匹の狼が血まみれになり
争っていた場所に遭遇したので、
諭したとする物が存在しています。

伏見稲荷と言えば狼ではなく狐ですが、
ダキニ天は本場インドでは狐ではなく
ジャッカルと関連付けられており、
狐ではなく狼とされているのは、
本来の稲荷信仰に近い伝承なのか、
大和時代で伏見稲荷建立前の話ですね。

狼が悪者として交代させられたような
稲荷の根本を考えさせる伝承ですが、
本来の稲荷山ではダキニ天が信仰され、
その痕跡が抹消された可能性を
感じさせるものではあります。

稲荷でダキニをダイレクトに残すのは
豊川稲荷でしか見る事が出来ませんが、
本来の稲荷にはダキニ天が関わり、
伏見でも信仰されていたのでしょうか。

なぜ豊川稲荷にのみダキニ信仰が
残されているのかを考えると、
三河南朝がこれを復興させたのが
大きな理由だと考えています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする