論語と情報リテラシー

メディアで社会の不安が騒がれていますが、
情報リテラシーの重要性は今に始まった事ではなく、
特に官僚にリテラシーがなければ国の運営が危ういので、
二千年以上も前に記された論語にも言及がなされています。

王仁博士が応仁天皇の時代に百済から日本に渡来し、
論語と千字文を持ち込んだとされていますが、
徐福により弥生時代に儒教が持ち込まれていた可能性があります。
江戸時代は藩校や寺子屋なども儒教を教えていたので、
かなりの長きに渡り日本で儒教が広まっていた事になります。

江戸時代の識字率は世界でもトップクラスであり、
明治以降に日本が世界に飛躍したのは明治の教育の力というより、
江戸の教育を受けた人が社会で現役で働いていた事を考えると、
江戸の教育の内容を見直した方が良いのでしょう。

論語から情報リテラシーに関わる22の言葉を取り上げ、
現代の問題に対して温故知新が可能か見てみましょう。

子曰。由。誨女知之乎。知之爲知之。不知爲不知。是知也。
孔子は言った。お前に知を教えようか、知るを知るとし、知らなぬを知らぬとする、これが知だ、と。

子曰、吾有知乎哉、無知也、有鄙夫、来問於我、空空如也、我叩其両端而竭焉。
孔子は言った。私に知があろうか、無知だ。私のような田舎者に問いに来る者あらば、自らを空にし、両面を検討してつくすだけだ、と。

子曰。無欲速。無見小利。欲速則不達。見小利則大事不成。
孔子は言った。速きを求めず、小利を見みず。速きを求めれば達せず、小利を見みれば大事は成ならぬ、と。

子曰。君子欲訥於言、而敏於行。
孔子は言った。君子は言は重く、行いは敏を欲す、と。

先行其言而後從之。
先にその言を行い後に結果に従う。

子曰。視其所以。觀其所由。察其所安。人焉廋哉。人焉廋哉。
孔子は言った。そのなす所を視、そのよる所を観、その安んじる所を察すれば、人は隠せようか、人は隠せようか、と。

子曰。多闻阙疑、慎言其余、则寡尤。多见阙殆、慎行其余、则寡悔。言寡尤、行寡悔、禄在其中矣。
孔子は言った、多く聞いて疑わしきを欠き、余計な言を慎めば、とがめは少ない。多く見て危うきを欠き、余計な行いを慎しめば、悔いは少ない。言にとがめなく、行に悔いなくば、禄はその中に在る、と。

無求備於一人。
一人に完璧を求めず。

子曰、有徳者必有言、有言者不必有徳。仁者必有勇、勇者不必有仁。
孔子は言った、徳有る者必ず言有り、言有る者必ずしも徳有らず。仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず、と。

子曰、内省不疚、夫何憂何懼。
孔子は言った、内を省りみてやましさ無くば、何を憂い何を懼れよう、と。

子曰。其言之不怍、則為之也難。
孔子は言った、言を恥じねば為すのが難しくなる、と。

子曰。主忠信。毋友不如己者。過則勿憚改。
孔子は言った、真心と信頼を主とし、己にしかざる者を友とせず。過てば改めるを憚かることなかれ、と。

季文子三思而後行、子聞之曰、再思斯可矣。
季文子は三度考えて行った。孔子はこれを聞き二度で良いと言った。

子曰、君子欲訥於言而、敏於行。
孔子は言った、君子は言においては重く、行いにおいては敏を欲す、と。

子曰。古者。言之不出。恥躬之不逮也。
孔子は言った、古き者が言を出さぬは、身が及ばぬを恥じるからだ、と。

子曰、人無遠慮、必有近憂。
孔子は言った。人に遠慮なくば、必ず近くにいあり、と。

子曰、君子求諸己、小人求諸人。
孔子は言った、君子はこれを己に求め、小人は他人に求める、と。

子曰、君子矜而不爭、羣而不黨。
孔子は言った、君子は厳かにして争わず、群れても党せず、と。

子曰、君子不以言舉人、不以人廢言。
孔子は言った、君子は言をもって人を挙げず、人をもって言を廃せず。

子曰、巧言亂徳、小不忍則亂大謀。
孔子は言った、巧みな言葉は徳を乱し、小を忍ばねば大計を乱す、と。

子曰、衆惡之必察焉、衆好之必察焉。
孔子は言った。衆が嫌えど必ずこれを察し、衆が好めど必ずこれを察する、と。

子曰、過而不改、是謂過矣。
孔子は言った。過ちを改めず、これを過ちという、と。

現代の我々が本やメディア、ネット等の情報と関わるにも
重要な示唆を与える言葉が多かったのではないでしょうか。

論語は人により見方がかわるとも言われます。
人生経験を積む事でより深みがわかるのでしょう。
江戸時代にはユダヤ人のように様々な解釈を出させ
検討する教育がなされていたとも言われます。

最新であっても即座に廃れるものばかりを追及するより、
時代の流れで廃れる事のない本質を踏まえる事が、
今の時代にもう一度求められているのかも知れません。

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