魏志倭人伝には、古代の日本は単一民族ではなく、
数多くの国があった事が記されています。
倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑
舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國
倭人は帯方郡の東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を作る。
昔は百余国あり、漢の時、朝見する者あり。今、交流できる所は三十国。
日本に様々な地域から民が来た、
あるいは交流があったとすると、
当時の大陸の文明水準と同等の国が
幾つも存在していてもおかしくありません。
日本にユダヤ人が来たとする日ユ同祖論が有名ですが、
戦前には日本・ヒッタイト同祖論や
日本・シュメール同祖論など、
様々な説が提唱されていたようです。
中国文献を読めば呉の末裔とする説も
記されているのですが、
四大文明もピラミッドやジグラット等の
現代でも目を見張る巨大建築物を造り、
高度な文明を持っていたのであれば、
古代の日本が劣ったイメージであるのを
払拭する必要が在るのかも知れません。
曖昧なイメージで歴史を活用した地域振興をしても
実際の社会への影響は少ないですが、
シュメールやヒッタイトをはじめとした文明は
調べればかなりの部分まで究明できるので、
本当に渡来していた痕跡がみつかれば
地域振興のレベルが愕然と上がる可能性があります。
縄文遺跡なども穴が見つかった程度で
実際にどんな建物であったかは根拠が不明瞭な
推理で進められている遺跡もあり、
データと根拠もセットで推理を展開して
各自が仮説を検討できるようにして、
研究の流れ自体がコンテンツとなるような
地域振興が行われればと考えています。