愛染王とオシリス

人間の愛欲を悟りに導くとされる
独特な地位を占める愛染明王は、
赤の王ともされています。

後醍醐天皇が生涯信仰したとされる
愛染明王とは一体どの様な仏で、
何故信仰されたのでしょうか。

エジプトでは直立した男根を持つ
オシリス像が至る所で見受けられ、
燃える様な赤い衣装を纏っていたと
文献により伝えられています。

オシリス神の本質は生殖・養育で、
オシリスの力が形を持ったのが太陽で、
知性的な思考が見える様になったのが
光であると信じられていたそうです。

後醍醐天皇は真言立川流を行じ、
ダキニ天の淫靡な性的修法をなし、
雄雌が抱き合う聖天の法も
修していたと伝えられています。

この性的な儀礼はオシリスに由来する
五穀豊穣の儀礼であったとすれば、
危険な信仰として非難される謂れは
何処にも見当たらない事になります。

オシリスの妻はイシス女神ですが、
愛染明王(タキ王)とダキニ天も、
一対の夫婦神と見れそうです。

王のみがオシリスと一体化し
太陽神の威光を放てるとされ、
王権の神として重視されました

後醍醐天皇の愛染明王信仰が
エジプトに由来する神聖王権を
南朝が継承した事を意味するなら、
鎌倉末期から神聖王朝が復興し、
痕跡が抹消された事になります。

これが史実であれば権力者からは
支配のために都合の悪い事実として
根絶すべき物とされたとしても、
何ら不思議はありません。

徐福が西方の文明を持ち込んだのなら、
エジプトアレクサンドリアにおける
オシリス信仰を持ち込んだ可能性は
皆無とは言い切れないでしょう。

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