太田亮氏はその著『遠江』で、
出雲国造の同族・土師部の一族が、
天平十二年(740)に記された
「遠江国浜名郡輸租帳」の古代史料編に
「戸土師小真木田捌段」とある事から、
古くから土師部が浜名郡に居住し、
一時物部氏に代って遠江国造に
任じられたのではないかと言います。
明治二十五年(1982)、愛知と静岡の
境の山越え途上の大知波峠廃寺跡から
古墳がないのに武人像や女子像の
埴輪の一群が出土したそうで、
土師部がいた可能性が指摘されます。
磐田市中泉地区の京見塚古墳や安久路釜など、
土師部が遠江に存在した痕跡が複数あり、
この土師氏が行基の土木工事と関係したと
見る事は十分可能だと思われます。
出雲系で古墳を造ったとされる土師氏が
行基の土木工事に関わっていたのであれば、
彼等の活動は先住民族の聖地の復興に
関与していた可能性が高いでしょう。
遠州には行基由来の聖地が多くあり、
秋葉山もそれに含まれていますが、
ここは縄文からの聖地であり、
三輪山と同様に御神体山です。
志多羅神上洛事件も行基に由来する
寺から起こされたとされており、
日本史の深層に関わりますね。