行基は道昭のもとで法相大乗である
「成唯識論(じょうゆいしきろん)」を
学んだと伝えられているのですが、
新羅の僧・元暁(がんじょう)の
『大乗起信論(宗要)』の講義も
受けたとされているようです。
日本仏教は百済の仏教から始まったとされ、
百済が滅び新羅が半島を統一すると、
統一新羅の仏教と密接な関係を持ったとされ、
これを根拠に様々な学説が生まれる事になります。
壬申の乱の勝利者とされる天武天皇の
大津皇子の仏教の師とされているのが
新羅の僧・行心(ぎょうしん)ですが、
統一新羅と密接に関係があったとされるものの、
研究を進めると違う感じが強くなってきますね。
田村圓澄氏は『半跏思惟像と聖徳太子信仰』で
日本と新羅の関係を語っています。
白鳳時代の日本の仏教界は、
新羅の仏教界の動向に敏感であり、
そして早い反応を示した。
新羅経典の受容、とりわけ『大般若経』や
『金光明最勝王経』重用の傾向は、
新羅から受け継いだものであった。
法相宗も新羅から伝えられたが、
その他寺院建築や仏像彫刻の様式も、
新羅から移されたものが
少なくなかったと思われる。
いわゆる白鳳美術の源流を、
初唐に求めるこれまでの見解にたいし、
私は、むしろ新羅との関係を
重視するべきであると考える。
と新羅との関係を掘り下げる必要を
提唱されているようではあります。
私は壬申の乱以前の先住民族が
新羅と密接な関係を有しており、
新羅の花郎(ファラン)と修験に
繋がりがあった事を書きました。
邪馬台国の新羅仏教の隠蔽に
統一新羅が持ち出された部分が
存在しているのではないかと、
個人的に睨んでいるところです。
新羅は朝鮮半島の国々の中でも
ギリシャ・ローマの痕跡が見られ、
これが邪馬台国と関係したなら、
日本の歴史の見直しが必要となり、
日本書紀の世界観が崩れますね。
行基がこれに関わった活動を
していたのであったなら、
行基のイメージも大幅な変更が
必要となってくる事でしょう。