『行基菩薩伝』は徳光禅師により
行基が受戒したと伝えています。
行基に具足戒を授けた徳光禅師の詳細は
全くと言って良いほど分かりませんが、
徳光が住んだとされる高宮寺は、
奈良県御所市西佐味の高宮廃寺址が
所在地と推定されているそうです
高宮廃寺址は金剛山の中腹にあり、
金剛山は役小角の修行地の葛城山系で、
山林修行の中心地とされています。
行基が徳光と関係するという伝承は、
修験道との関わりの暗示なのでしょうか。
葛城と言えば一言主神が役小角の呪縛で
封印されていると伝えられていますが、
行基はこの神の秘説を伝えています。
一言主と言えば雄略天皇と瓜二つの
謎の伝承が古事記に記されており、
雄略天皇=ヤマトタケル説については、
『平将門の深層』に書いておきました。
行基は仏教僧と言われながらも
伊勢にも関わりが深い存在で、
神宮の成立が壬申の乱以降なら、
この乱より前に生まれた行基が
先住民族祭祀の修行者に師事した
可能性は非常に高いでしょう。
行基に徳光禅師の伝承があるのは、
彼が修験道と関わっていた事を
完全に隠蔽仕切れないところから
来た話だったのでしょうか。
葛城は古代祭祀と関係が深い
エリアと認識されていますが、
雄略天皇含め本来は三遠に
根拠があるとする話は、
私の著述を詳細に見てきた人なら、
分かっている事と思います。