寺野ひよんどり

寺野ひよんどりは毎年一月三日に
浜松市北区引佐町渋川の宝蔵寺観音堂で
継承されてきた祭とされていますが、
昔は寺野観音堂やっていたそうです。

三河で1575年6月28日に行われた
武田軍と織田・徳川連合軍による
長篠の戦いで疲弊した伊藤一族が、
山を越え引佐町渋川の地に至り、
五人の息子と村を作ったのが
渋川の里と伝えられているようです。

寺野ひよんどりは伊藤氏が三河から
持ち込んだと言われていますが、
三河の平地では鬼は登場するものの、
鬼が火を扱う祭は見当たりません。

鬼が登場するひよんどり(火踊り)の
悪鬼でない赤鬼が火の祭をする姿は、
ここから山奥に行った奥三河の
花祭において見る事ができます。

花祭の伝承も誤魔化されており、
榊鬼が神官の度会氏と問答する際に
神官に言い負けてはいますが、
更に奥地では問答の内容が違い、
朝廷の追及にあうと危険な状況下での
苦肉の策であったのでしょう。

鬼道の祭が弾圧対象とされたなら、
ひよんどりも本当の事を言えず、
別の伝承を残した可能性は、
相応にあると思われます。

花祭の本に詳しく書いておきましたが、
この鬼が卑弥呼の用いた鬼道の鬼で、
邪馬台国祭祀を受け継いだものなら、
ひよんどりも世界に誇る文化遺産となり、
三輪山祭祀に通じる古代祭祀を継承した
国家祭祀の基幹に関わりそうです。

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