行基が灌漑用水の久米田池を作り、
感謝のために初められら行基まいりが
岸和田市に継承されているそうです。
泉州最大の池である久米田池を竣工した
行基菩薩に対する感謝と五穀豊穣を祈り、
だんじり十一台が久米田寺に行きますが、
久米田寺には久米田古墳群が存在し、
橘諸兄や光明皇后の古墳もあるそうで、
行基の活動と関係するのでしょうか。
彼らの墓が古墳だったとすると、
壬申の乱で古墳時代が終わるので、
行基と同伴した土師氏が古墳を造って
彼らが埋葬された可能性が出ます。
三河の南朝天皇の墓も古墳とする説が
文献を読むと登場してきますが、
土師氏が復興した可能性があるなら、
ワンチャンあるかも知れませんね。
何故ここに埋葬されたか謎ですが、
本来に埋葬されたのかも分からず、
判断が難しいところです。
機会があれば寄ってみたいですが、
橘諸兄がここに眠っているなら、
行基との関係で隠された領域が
存在していた気配が濃厚ですね。