行基は聖武天皇らに菩薩戒を授け、
大僧正を改め大菩薩号を賜った事を、
多くの行基伝が記しています。
しかしその内容には違いがあり、
『続日本紀』は聖武天皇の
出家授戒について記すものの、
行基が菩薩戒を受けたとせず、
『唐和上東征伝』では鑑真が
大仏殿前で聖武天皇に菩薩戒を授け、
皇后・皇太子も授戒したとします。
『唐大和上東征伝』は宝亀十年(779)に
淡海真人三船(おうみのみふね)著の
鑑真和上の伝記とされていますが、
淡海三船は臣籍降下した人物とされ、
信憑性が低いとは言えなさそうです。
行基は大仏を完成を見ずに
死んだ事とされていますが、
この周辺の伝承の違いの背景に
何があったか気になる所です。
行基伝承の隠蔽は笠置寺の記事で
既に書いた事はありますが、
伝承の違いが多岐に渡って来ると、
ただならぬ物が隠蔽された雰囲気を
感じさせて来る事になりますね。
行基が聖武天皇に菩薩戒を授け
大僧正にまでなったのであれば、
日本仏教界の根幹に位置しますが、
これが嘘であったとしたら、
大幅な修正が必要となります。