県犬養橘三千代が法隆寺の
伝法堂、橘夫人厨子、西円堂に
関わる事が伝えられています。
法隆寺の資財帳に記された
伝法堂の記述にこうあります。
瓦葺講堂壱間長八丈四尺廣三丈六尺
奉納橘夫人宅善湜師申奉納
寺伝はこの橘夫人を三千代とし、
彼女の住居としてきたそうで、
解体修理時に調査をしたところ、
高級貴族の住宅を仏堂風に
改造した事が分かったそうです。
法隆寺の大宝蔵院の中には、
橘夫人厨子と伝えられる
阿弥陀三尊があるそうです。
739年に行信が東院伽藍を
建立したとされていますが、
天然痘で藤原四兄弟達が死去し、
これに関係すると見られています。
西院伽藍北西の小高い丘の上に
八角造りの円堂があり、
奈良時代の橘三千代の発願で、
養老二年の行基建立と伝わります。
西円堂の本尊は丈六薬師如来坐像で、
法隆寺僧の中院良訓『古今一陽集』は、
古老の伝承で行基菩薩が西円堂の
本尊を作った事を伝えています。
西円堂には鬼やらい行事が残り、
行基の痕跡が鬼退治と関係しますが、
行基は鬼神の祭と関係しているので、
後に鬼神への呪術がなされたのか、
隠された領域がありそうです。
八画造りの円堂は菅原遺跡に共通し、
八角形の祭祀場は鬼道に見られるので、
法隆寺は鬼道の寺院だったのでしょう。
私の読者にはお馴染みの八角形と鬼道が
法隆寺と行基にも関わって来ましたが、
花祭の保護で始めたブログなので、
やはりここを外す事は出来ませんね。
法隆寺がヘレニズムの産物で、
ギリシャと仏教が融合する事で
ギリシャ神殿風の寺院として
造られた事は記事にしましたが、
行基と橘三千代が関わるのは、
何かしら感じさせる物がありますね。