長岡院と法隆寺

長岡院の正多角形の円堂を
回廊等で囲む平面配置は
法隆寺東院を簡素化したものと
捉えられているようです。

東院夢殿は聖徳太子の廟とされますが、
これは八角形の形状をしたもので、
基壇上の建物は法隆寺東院の夢殿に
丸みをかけた様な構造になります。

法隆寺と言えば以前ブログ記事で
ギリシャ建築と仏教寺院が融合した
ヘレニズムの産物と言うの説を
提唱した事がありますね。

となると行基はヘレニズムを持ち込んだ
徐福王朝の技術を継承した土師氏と、
壬申の乱での崩壊に対応するために
活動した僧侶の可能性が高そうです。

この時期は古事記・日本書紀を編纂し、
日本の歴史を一本化した後なので、
先住民族祭祀に連なる活動をした
行基集団の情報を隠蔽する必要が
存在した可能性は高いでしょう。

吉田神社の大元宮や猿田彦神社に
八角形を見る事が出来ますが、
飽海神戸新明社の鬼祭も八角形の
儀式場が関わる事を考慮すると、
やはり行基は鬼道の民ですね。

長岡院の土師氏がが鬼道の寺院を
建立した可能性は高いのですが、
壬申の乱で徹底的に破壊された
邪馬台国の痕跡が多く残っていれば、
珍しい物とはされなかったでしょう。

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