月読神の復権

以前『花祭:太古の鬼神の謎』に
対馬の天童の事を書いたのですが、
『古代日本の月信仰と再生思想』に
三浦茂久氏が天童について記していました。

天童は伊勢の神宮の伝承の『皇太神宮儀式帳』(804年)に
月読宮の月読命の御形は馬に乗った男の姿とされ、
それを『御鎮座伝記』の別伝で天童と記しているそうです。

花祭は修験道の開祖とされる役小角が関わりが深く、
役小角と天童の関係などを書いたのですが、
奥三河の月地区にある槻神社の御祭神である
瀬織津姫が月神であるとする説に
多少の裏付けとなりそうです。

世界的に見ると太陽神が男性で月神が女性、
両者が夫婦であるとされるケースが多いのですが、
日本では太陽神が女神とされています。

もっとも古代の太陽神がニギハヤヒとされ
男性神であったとする説もあるので、
天童も女神であった可能性もあります。

壬申の乱で奥三河に移住した先住民により
古代日本の祭祀が継承されてきたとすると、
卑弥呼の鬼道や月神崇拝などの失われた伝承は
奥三河に色濃く残っているとすれば、
古代日本のアイデンティティーを探るのに
必要不可欠なエリアとなります。

花祭で榊鬼と問答をするのは伊勢外宮の度会氏です。
奥三河で花祭が行われるようになった時期と
伊勢の神宮と天皇家との関わりが変化したのも
同時期の壬申の乱以降です。

古代の伊勢の鬼神や月神祭祀の源流を探るには
花祭をはじめ奥三河の文化の尊重が必要で、
消された月神の復権は偏った現代日本に
バランスをもたらすのではないでしょうか。

瀬織津姫は近年の神道界では有名になりましたが、
奥三河や三遠との関係は語られていません。
古代日本の国家祭祀に関わる神であるとすれば、
奥三河の祭の継承は日本人全体の課題となり、
関係者の姿勢が問われる事となるでしょう。

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