大仏建立の謎

平城京遷都よりも前の段階で
東大寺上院エリアが行基により
建立されていたとすれば、
大仏造営をこの地にするなら、
行基の勢力とバッティングします。

度重なる遷都の後に大仏を建立し、
遷都を終わらせたのであれば、
ここで問題の解決を見たのでしょう。

なぜ大仏をこの地に造る必要が
存在したのでしょうか。

これについては本に書きましたが、
東大寺大仏=イエスキリストより
更に二段階ほどは奥がある事は、
行基の本に書いておきました。

聖武天皇が伊勢に行った事とも
密接に関わる話なのですが、
この周辺は神道・仏教双方で、
余り語られない話ですね、

藤原四兄弟が死亡した後に
大仏建立の動きが浮上し、
藤原氏である光明皇后により
藤原仲麻呂が権勢を得て、
反対勢力を粛清していきます。

藤原氏と信仰の違う行基に対し、
排除の動きがあった可能性は
高いものがありそうです。

民衆の支援のある行基に
酷い事をした事が広まれば、
大仏建立の苦役に対する
反乱も想定されるでしょう。

東大寺や菅原寺の行基伝承は
捏造される事となり、
目的のために利用された後に
排除されたのでしょうか。

しかし行基の活動はこの後も
民衆を支える力となり続け、
伊勢神道の隆盛等に繋がります。

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