ソクラテスと薬師如来

プラトンの著『ゴルギアス』では、
弁論術を教える教師との対話から始まり、
次の相手とは生き方の問題に踏み込み、
最後のカルリクレスは敵意を丸出しに
勝てば官軍の理論をぶつけてきます。

ここでソクラテスが弁論術のために
殺される事について話していますが、
毒杯を飲まされる伏線となっています。

カルリクレスはプラトンの著作以外に
現存する書物に記述に見えない事から
プラトンの創作とも考えられていますが、
哲学者に対する痛烈な批判は面白く、
退屈な議論の多いソクラテスの話の中で、
かなりスリリングな読み物となっています。

プラトン自身が辛辣な哲学者批判を
徹底的に行ったとするのであれば、
彼の名がレスリングに由来する様に、
徹底的な攻撃にも対応しうるだけの
哲学を求めていた事が伺えますね。

白を黒として罰する力を求める人は
現代でも数多くいると思いますが、
ソクラテスのあの世について話で
この議論が終わっているので、
創作的な話なのは確かです。

不正を好む人はあの世がないので
逃げ切れれば良いと言う考えの人も
相応にいるとは思われますが、
悪魔に魂を売るようなケースも
実際には多く見受けられます。

これとは別に良からぬ宗教で
都合良く洗脳して利用する話も
歴史的に見られる事ですが、
ソクラテスもあの世について
詳細に語っています。

そして彼の語った世界観は、
徐福がインドから持ち帰り、
行基が法隆寺で御本尊とした、
薬師如来に密接に関わります。

薬師如来は古代世界において
ミトラ・ヴァルナとして
弥勒とペアで信仰された、
抹殺されし神ですね。

奈良の裏鬼門に位置する法隆寺に
薬師如来像が祀られたのなら、
鬼門に位置する東大寺付近には、
弥勒が祀られていたのでしょうか。

例え不正で殺されるとしても、
生き方さえ良かったのなら、
肉体から魂が離れた後に、
苦しみを味わう事もなく、
魂相応の世界に行けると
カルリクレスに答えています。

『国家』ではあの世だけなく、
この世でも不正をしてきた者の
末路について語っていますが、
善悪の報酬はこの世でよりも、
あの世で受けるものの方が
遥に大きいと主張しています。

面白い事に輪廻転生だけでなく
解脱の概念まで存在しており、
仏教もギリシャ哲学との対比を
もっと行うべきなのでしょう。

当然アショーカ王の仏教には
ギリシャ哲学も流入しており、
西方の神々が仏とされて、
多くの仏像が作られた事を、
本に詳しく書いています。

古事記がギリシャ神話と
非常に類似している事は
既に色々と語られていますが、
邪馬台国でも冥界神の世界が
語り継がれていたのでしょう。

信じなければ救われない
一神教の世界観が主流になり、
その後に科学的と言いつつ
死んだらツケが踏み倒せると
殖民地を拡大したりしてきました。

現代では都合の悪い事を押し付け、
美味しい所は持っていっても、
ただ乗りして踏み倒そうとする人も
かなりの度合い見受けられますが、
昭和三十年代を知っている人からは、
民度が落ちたと言う話も聞きます。

ソクラテスは軍事経験者でもあり、
『国家』では軍事についても
色々と語っているのですが、
現代は都合の悪い事を押し付け、
金儲け出来れば他がどうなろうと
知った事はないような勢いですね。

人類のために犠牲になる人がいても、
ふーんで終わって大事にしないような
えげつない事をしている国民であれば、
有事の際に最低な話になりかねません。

生前の生き方でどこに行くかが
大きく変わると言った考えや、
不正を犯してもあの世では
逃げ切れないとする世界観は、
この国の神話から抹殺される事で、
どの様な功罪をもたらしたのでしょう。

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