大阪には行基が造ったピラミッド構図の
土塔が存在しているのですが、
建立に目的は謎とされて来ました。
平成二十一年の土塔の整備の完成により、
土塔が十三重の塔で各層に瓦が葺かれ、
文字を記した瓦の出土が千三百点ある中で、
大半に人名が記さた事が分かりました。
行基と活動し仏縁を結んだ人は
知識と呼ばれたそうですが、
彼らの名前と想定されています。
知識は善知識でミトラの訳ですが、
ミトラは友ともされるので、
ミトラの訳のせいでややこしい
イメージが持たれた感じですね。
ミトラは仏教に取り込まれて
弥勒菩薩となりましたが、
本来はヴァルナ神とペアで
信仰されていた存在です。
このヴァルナを薬師如来として
徐福が持ち込んだ経緯について、
『三遠式銅鐸と古代出雲』に
書いておきました。
四方浄で鬼の祭が行われるのも
薬師堂においてでありますが、
徐福の持ち込んだ薬師如来も、
ミトラと一対であったとすれば、
ミトラ信仰も存在したでしょう。
行基が徐福がこの国に持ち込んだ
アショーカ王の仏教をベースに
ミトラ信仰の神殿を建てたなら、
行基のイメージは一変するでしょう。