土塔と実忠

ピラミッド型の頭塔についての記述を探ると
『東大寺要録』は神護景雲元年(767)に
東大寺の僧・実忠が造営したとしますが、
頭塔ではなく土塔と記しています。 

ここが東大寺と関係するものである事を
伺わせる内容となっていますが、
平城京の東に取ってつけたエリアは、
何かと色々あるところです。

奈良国立文化財研究所の発掘調査で、
頭塔の下層にさらに一時期古い
三重の土塔が発見され、
正倉院文書「造南寺所解」から、
天平宝字四年(760)に別の人物により
造営されたものと判定したそうです。

その際に六世紀の古墳を破壊して
その上に築造したものを実忠が引き継ぎ
改修したとされてはいますね。

行基が大阪に造ったピラミッドも
土塔と呼ばれているのですが、
共通のものなのでしょうか。

この周辺は何冊か文献も出ており、
学術的な話をしても良いのですが、
本に纏めるのに疲れたので、
詳しく知りたい方は行基の本を
読み込んでみて下さい。

行基を詳しく語ると複数の要素が
関係してくる事になるのですが、
一つ一つを押さえるのも骨が折れ、
ブログ記事だと飛び飛びに読む人が
結構多いようなので問題が出ます。

体系的に全体像を知るためには、
本を読む方が良いですね。

ブログはともかくyoutubeは
使い方によっては知能低下を
しかねないデータが出ているそうで、
ネットだけで情報を完結させるのは
難しい問題はありそうです。

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