実忠と行基

頭塔を造ったとされる実忠は自らの業績を
『東大寺権別当実忠二十九ヶ条事』に
纏めて記したと伝えられています。

奉造立塔一基
在新薬師寺西野

と記されている事が根拠となり、
実忠が頭塔を造ったとされますが、
それ以外にも優れた功績があります。

東大寺の土木・建築に貢献した事も
見る事が出来るとされていますが、
大仏建立時に背光の造立が難航し、
木材調達に動いた事が記されます。

木材調達に木津川が用いられた事から
南朝で記事にした笠置寺が関わり、
ここで修行した実忠が修二会(お水取り)を
東大寺に持ち込んだとされてはいます。

木津川の木材運搬に纏わる伝承で、
行基が問題を起こしたとするものが
存在する事も記事にしましたが、
行基の功績が実忠のものとして
奪いさられた可能性を示します。

となると実忠に纏わる伝承の中に、
行基に由来するものが複数存在する
可能性は高いものとなりそうです。

頭塔は実忠が造ったのではなく
行基集団が造営した物であれば、
頭塔と土塔の研究に新たな視点を
持ち込む事が可能になるでしょう。

実忠はゾロアスター教かタタール人に
由来すると言われる立陀(ダッタン)を
行ったと人ともされていますが、
『東大寺縁起』はその出自を
「天竺ノ人ナリ」と記しています。

頭塔を実忠のものとするか
行基のものとするかによって、
出所が全く違うものとなり、
邪馬台国のピラミッド建築の
深層に関わる問題になりますね。

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