奈良時代の対一神教の動き

武即天は自らを弥勒に準えましたが、
彼女の活動は一神教をベースにした
宗教的動機によるものなのでしょうか。

旧約聖書は神の名による他民族の虐殺、
謀略を用いた権力の奪取などを伝え、
自らの勢力下に入らない神々を
悪魔として扱う特殊な信仰を持ちます。

アレクサンダー大王は様々な宗教を保護し、
唯一弾圧した宗教がゾロアスター教と
歴史で伝えられてはいるのですが、
ペルシャでユダヤ教とゾロアスター教は
密接に関係を持つ事となったので、
ユダヤ教も弾圧対象であったでしょう。

東大寺大仏建立の時期の唐は、
武即天の影響を排除した玄宗により
統治された状況にありましたが、
彼はマニ教を排除しています。

武則天はゾロアスター教・マニ教・
ネストリウス派キリスト教(景教)の
三つの一神教を保護しており、
これら全てが排除対象として
扱われた可能性が高そうですね。

唐が一神教の影響を排除した時代、
日本で武即天に連なる宗教施設を
建立する動きがあった事に対し、
唐側はどう対応したのでしょうか。

これに関しては研究済みですが、
ブログでどこまで書くか微妙なので、
本にするかも知れません。

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