行基と雑密

真言・天台密教が輸入される前に
この国に存在した密教の事を
雑密(ぞうみつ)と読びますが、
飛鳥時代に雑密が存在したなら、
色々と問題が出る事になります。

蘇我氏と物部氏が仏教と神道で
争ったとされているのですが、
飛鳥時代の雑密の流れにある
修験道は神仏習合の雑密です。

雑密には呪術的な要素が多く、
修験道の役小角も呪術者ですが、
行基も呪術者として知られており、
山岳修行をしたとも伝承されます。

行基は高句麗・百済の仏教を
修行したとされてはいますが、
行基の弟子が雑密を修した事が
記録として残されています。

行基の時代は壬申の乱直後ですが、
雑密についての研究は弱い状態で、
役小角も天武天皇に味方をしており、
修験道を立ち上げた程度の認識ですが、
一在家修行者にしては凄すぎでしょう。

行基が修験道に連なるのであれば、
役小角の直後の流れに関わるので、
邪馬台国の修験道の痕跡に対し、
隠蔽が盛んな時代に生きたのが
行基であった事になりますね。

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