行基は出家した後に入山し、
三十七歳まで山林修行を続けたとされ、
行基の生家は葛城山を眺められる場所に
位置していたとされています。
葛城山と言えば一言主神ですが、
この神は古事記に特異な伝承があり、
雄略天皇と姿が瓜二つであったり、
役小角に呪縛されたりしています。
雄略天皇=ヤマトタケル説については、
『平将門の深層』に詳しく書いたので、
関心があれば呼んでみて下さい。
行基はこの神について記しており、
伊勢神道でも重視されていますが、
行基伝承がどの程度まで正しいかは
定かではない部分があっても、
一言主には縁が深いようです。
行基はこの神の秘説を語っており、
行基がどのような仏教を学んだかは
色々と書き残されてはいますが、
役小角が神変大菩薩と呼ばれ、
行基が行基菩薩と呼ばれたのも、
修験との繋がりがありそうですね。
役小角が一言主を封印した伝承は
精力的に見ると真逆の話になり、
封印したのは壬申の乱の後に
侵略した側による事なのでしょう。
行基は一言主を孔雀明王としますが、
役小角は孔雀明王の呪を唱えて
仙人になって空を飛んだとされ、
修験道の関係者でなければ知り得ない
深い部分まで関わっていたのでしょう。
アショーカ王のマウリア王朝は
孔雀王朝を意味しているので、
アショーカ王の仏教を継承した
徐福王朝の祭祀に連なる存在が、
行基であったのであれば、
彼の活動は先住民族の聖地の
復興にあったのでしょうか。