愛知県豊橋市の運動公園の池が
地下水を組み上げるポンプが詰まり、
干上がった状態になっていますが、
こう言う時は子供達が集まり、
色々と遊びたがるものですね。
池の面積が狭くてなっている所に
大きめの石を投げて遊んでいて、
鯉や亀を殺傷しかねなかったり、
捨てられた傘を突き立てたり、
石を積み上げたりしています。
石の山をどうにかしないと、
梅雨になって池の水が溜まると、
水面上に石が突き出てしまい、
除去するのも池の中に入っての
重労働となってしまいます。
市に行って教育関係と話をしたので
学校に話は行っているはずですが、
石が退けられてはいないので、
まともに動かなかったのでしょう。
犯人探しをしても名乗り上げず、
何もしなかった可能性もありますが、
公共の場をみんなで綺麗にする事は、
学校教育として取り組んでも良い話です。
公園の管理をする部署とも話ましたが、
自分が見た時は泥しかなかったものの、
もともと池の底にあった石なので、
税金を使うのに問題があり放置だそうで、
公共の場なのに酷い状況にありますね。
自分のした子供の後始末をさせるのも
知識を詰め込む以前の重要な教育で、
学校のみでなく家庭教育においても
責任を持つべき話ではあります。
人に言って本人が何もしないのは
教育者として失格な行為であり、
自らがやった上で人に語るのが
江戸時代の寺子屋教育の徳目で、
修身が重視されていました。
孔子は恥について聞かれると、
国に道がない時に禄で富むのを
恥であると答えたそうですが、
官僚になるための私塾で
こう語ったのは凄いですね。
公務員になれば安定するからと
無責任な事をし税金で食うのを
恥として教えていたなら、
江戸時代と現代は公務に対して
別の姿勢で関わったのでしょう。
育ててくれた親への孝行のように
天地の恩に対しての考があり、
親の有り難みが後から分かる様に
自然の有り難みを失ってから気付けば、
損害の度合いは桁違いになります。
天を父とし地を母とすと言いますが、
親をの大切さが分かる世代なら、
自然の恵みに対しても同じ様に
対応する必要があるのでしょう。
積み上がった石を崩そうと
作業をしてみたのですが、
一人でやると一週間はかかる
分量の石がありますね。
風水では水の状態が周囲に影響し、
水神の祭祀など行っていますが、
池を綺麗にする事の影響は
多大なものがあるのでしょう。
ここは地域密着型のブログなので、
これを読んでいる地元の方は、
子供と一緒に池の掃除をしたり、
周囲に呼び掛けるなどをして、
協力して頂けたらと思っています。