奈良のピラミッド

奈良にピラミッドが存在すると
言われたら驚くでしょうか。

日本最初の怨霊となった藤原広嗣が、
玄昉(げんぼう)と言う僧の首を
もぎ取った伝承が残されていますが、
玄昉の首塚と伝わる七段の土塔は、
一辺が約32メートルの大きさを持つ
ピラミッド状の建築物です。

玄昉と同時代の僧侶であった行基も
ピラミッド状の建造物を造っており、
何らかの繋がりがありそうです。

頭塔は発掘調査が行われるまで
木々の茂った小山とされており、
ここ以外にも山岳崇拝の聖地には、
木々の下にピラミッドが眠る場所が
幾つも存在しているのかも知れません。

行基は壬申の乱で荒廃し苦しむ民を
救うために活動した僧侶ですが、
この乱以前のヤマトにおいて、
ピラミッド状の建築思想が存在し、
祭祀がなされていたのであれば、
かなりイメージが変わりますね。

古墳も木々が生えれば山にしか見えず、
寺の裏山が古墳だったという話を
住職さんに聞く事がありますが、
神社仏閣の裏山が古墳であるケースは、
結構あるのかも知れませんね。

このピラミッドの謎については、
『行基菩薩とヘレニズムの復興』に
色々と書いておきましたが、
古代出雲の謎に通じる話になります。

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コメント

    • Katsuyoshi より:

      上森さん初めまして、行基の本を読まれた方でしょうか。
      動画のリンクしかないので趣向が分りませんが、私の説の問題点の指摘なのか、動画についてのコメントが欲しいのか、特定の宗教勧誘か等によっては返答出来ない事もあるので、明確にして頂けると助かります。
      動画についての意見と言うのであれば、大仏が行基により作られていない可能性は本に書いておきました。特定の古墳をイエスキリストの墓とする説は、方角等が根拠でしかないなら、別の有力者の墓である可能性もあり、神憑りで聞いた類の話であれば審神者の問題が出るので、このブログの趣向ではありません。
      ブログでは断片的に書いていますが、本には総合的に今まで書かれていない事も含めて記してあるので、疑問であれば読んでから具体的にして頂けたらと思います。