古墳についての一考察

行基の痕跡を回っていると、
土師氏の関与が見えてきますが、
出雲で古墳を造っていたと
言われてはいるものの、
土塔等を造営していたなら、
古墳以外も造った事になります。

古墳とされているものを回っても、
土が盛られて石室があるだけで
古墳扱いされている事には、
違和感が出てくる所ですね。

侵略者側が先住民族の司祭場を
墓として利用したとする説は、
エジプトのピラミッドにも見え、
日本でも十分想定可能な話です。

古墳とされている物の中には、
神殿の類いのものも含まれ、
墓以外の祭祀的な機能が
持たされていた気配を、
実地で濃厚に感じています。

邪馬台国祭祀は極めて原始的な
シャーマニズムと考えられており、
程度の低い物として扱われますが、
ヘレニズムの影響があったなら、
神殿祭祀が行われていた可能性も
充分に存在する事になります。

天皇が野蛮な民族を統治し、
文明をもたらした様な歴史観が
ベースに存在してきましたが、
行基の研究に新たな視点が
持ち込まれる事になっていけば、
この周辺も見直しが出るでしょう。

まだまだマイナーな研究なので、
本を読む人が一定数以上増えれば、
歴史研究のジャンルにおいても、
一定の影響を及ぼす事が出来るので、
何とか頑張って纏めました。

一から十までやる必要はないので、
流れを出すまでが仕事ですね。

今は新旧交代の時期なので、
色々な動きは出てきていますが、
こう言う状況では動きを見て
美味しい所だけ乗っかろうと
さもしい事を考えていると、
後々そのツケが来そうです。

易経では後から都合良く来る人は
信頼置けないと伝えていますが、
生き様が問われる勝負所では、
大きな所を見る必要がありますね。

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