東大寺の前身

東大寺大仏殿を東にのぼった丘陵部に
十一面観音を本尊とする二月堂があり、
その南の法華堂は三月堂と呼ばれます。

この一画は上院と呼ばれ、
二月堂の創建が大仏開眼の年と
伝えられて来てはいますが、
上院付近の福寿寺や金鐘寺は、
東大寺の前身とされています。

東大寺の始まりは、
728年聖武天皇の皇太子である
基(もとい)親王の菩提を
追修する為に建立された
金鐘山寺と伝えられますが、
様々な謎が存在しています。

二月堂前の仏餉屋(ぶっしょうのや)の
解体修理に伴う発掘調査により、
前身寺院の遺構や八世紀前半の瓦が
出土したと伝えられています。

二月堂の創建は当時の史料で
ここに触れた物が見当たらず、
詳細は良く分かっていません。

大仏建立以前に二月堂が存在し、
正月堂も存在していたのでしょうか。

東大寺二月堂が笠置寺に由来する事は
南朝の記事で書いておきましたが、
ここで東大寺建立の行基伝承の
隠蔽があった事も書きましたね。

となると二月堂も行基と関係し、
これに纏わる歴史が隠蔽された
可能性すら見えて来きます。

他にも行基に纏わる謎が存在し、
東大寺上院と行基の関係は、
思いのほか深かった可能性は
高いのだと思っています。

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