漢字の語源の研究で有名な白川静氏によれば、
原始の歌謡は呪歌であったとしています。
「口」は神への祈りを示す祝詞を納める祝告の器、
「可」はこれを木の枝で殴ったものであり、
神の許可を求める叫び声が「呵」であり、
それが「訶」となり「歌」となり、
歌は「謌」に従い抑揚とリズムのある「歌」となる。
ことばは歌として形成された時、
呪能をもって自ら活動する存在となる。
彼の甲骨文字解釈は呪術に関連づけて解釈され、
その前提に疑問が出る事もあります。
「口」を祝詞を入れる器と解釈する根拠もなく、
聖なる器の遺物は発見されてはいなともされますが、
感性に訴える不思議な魅力のある説となっています。
古代中国では礼儀と音楽を陰陽の関係とし、
礼楽(れいがく)と呼び重要なものとしていました。
体を動かす礼と無形の楽の組み合わせは、
祭の舞にも通じるものがあります。
花祭では「うたぐら」が歌われますが、
「伊勢の国 高天原がここなれば 集まりたまえ 四方の神々」
と歌う謎のうたぐらも存在しています。
伊勢の神宮では雅楽が行われますが、
雅楽は詩経の雅からきているもので、
花祭で榊鬼と問答するのは伊勢外宮の神官の
度会氏とされています。
伊勢の深奥に関わる古代の音楽が
この三遠の地で行われていたのであれば、
音楽の街として世界に通用する都市となったのは、
歴史の必然であったのかも知れません。