神殺し

早いものでもう六月に入り、
全然やる気の出なかった
五月病も治って来ましたが、
中二病は中々治りませんね。

5月30日に出雲の記事を
予約投稿していたのですが、
何故か投稿出来ておらず、
出して良い記事かどうかは
微妙な感じがしています。

今まで語られて来なかった
謎の神が出雲と関わりますが、
こう言う話を出すと薄っぺらに
コンテンツ化されかねないので、
大々的には出したくない所です。

特にチャネリング等により
神から色々と聞いた話を
垂れ流すケースに関しては、
こちらが歴史情報を出すと
間違っている事が判明し、
煙たがられる事が多いです。

間違いが分かった段階で
訂正を入れれば真摯ですが、
裏で隠して無い事にしつつ、
神を語れば資格なしでしょう。

朱子はこう言うジャンルに対して、
分かる人はに言わなくても分かり、
分からない人は言っても分からないと、
基礎から着実に押さえていく事で、
学びが天徳に達する事を重視します。

そもそも儒教における神の話は
国家祭祀に関してのものなので、
官僚としての責任が明確であり、
小狡い逃げ道を作る商売とは
関係のない話になっています。

特定の業界のネタとされるなら、
神を出汁にした金儲けとなり、
良い迷惑と言った所でしょう。

金には恐ろしくシビアなのに、
信頼残高等の目に見えない話には
死ぬ程ルーズになっている昨今、
神を利用した高額商売にせよ、
タダで情報をよこせ的な話にせよ、
歪なジャンルになっていますね。

株でもタダで情報を得ようとし、
儲かっても一銭も払わないのに、
損失を出したら責任を押し付ける
根本的な姿勢に問題のあるケースが
見受けられる事がありますが、
先祖が大事にしてきた物にも
適応させて良いのでしょうか。

パワースポット的な聖地参拝も
この流れの上にあるのなら、
聖地を汚す事になりかねません。

と言う事で余り謎の神の話などは
出す必要があるか分かりませんが、
食料危機などの基礎的な問題を
十分に押さえる事の方が重要です。

とは言っても呪術の分野において
神を殺す手段とされているのは
民に忘れ去らせる事とされており、
悪意をもって隠されたのであれば、
出す意味もあるような気もします。

国家祭祀で運営されていたものを、
運営基盤が崩壊した状況下において、
どう扱うかは難しい問題ですね。

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