寺子屋とディベート

現代日本の学校教育はディベートを教える所は少なく、
日本人のディベート力は世界最低とされていますが、
江戸時代はどうだったのでしょうか。

藩校や寺子屋で儒教が教えられていましたが、
江戸時代に主流であった朱子学は価値観の押し付けであり
議論がまともに出来ない教育だったのでしょうか。
近思録には論学という一節があります。

「博學之、審問之、愼思之、明辨之、篤行之。
五者廢其一、非學也。」
「ひろくこれを学び、審らかにこれを問い、愼んでこれを思い、
明らかにこれを弁じ、あつくこれを行う。
五つの一つを廃せば、学ではない。」

「文要密察、心要洪放。」
「文は緻密さを要し、心はおおらかさを要す。」

「不知疑者、只是不便實作。
旣實作則須有疑。有不行處是疑也。」
「疑問を知らぬ者は、ただ実行していないだけだ。
既に実行していれば疑いは有ろう。
行えぬところが有ればこれが疑問になる。」

「學原於思。」
「学は思にもとづく。」

論語にも仕事における情報の取り扱いについて
孔子塾の生徒に言及している部分がありますが、
江戸時代は実社会で有益な教育がなされていたようです。

「子曰。多闻阙疑、慎言其余、则寡尤。
多见阙殆、慎行其余、则寡悔。
言寡尤、行寡悔、禄在其中矣。」
「孔子は言った、多く聞いて疑わしきを欠き、
余計な言を慎めば、とがめは少ない。
多く見て危うきを欠き、余計な行いを慎しめば、悔いは少ない。
言にとがめなく、行に悔いなくば、禄はその中に在る、と。」

寺子屋ではユダヤ人の教育のように経典を素読させた後、
文を様々な解釈を出させてから検討させたりしたそうです。
論語の一つの言葉でも人によって違う解釈や翻訳がなされますが、
特定の解釈を即座に否定せずに一通り聞いてから検討するので
ブレーブスストーミングが普通に出来ていたようです。

ディベートの授業でいじめが無くなった学校があるそうです。
個人ではなくチームで成果を上げる授業は少ないですが、
実社会にも有効なトレーニングでしょう。
現代ではネットで教育が出来るインフラがあるので、
江戸時代のように高い水準の私塾が数多くでるのが
面白いのではないでしょうか。

江戸の私塾は貧しい人も学べるように
余裕の無い人から大金を取らなかったようですが、
食料自給率が低く今後の政局に不安のある状況では、
家で採れた野菜を授業料として払うやり方も
多く出てきても良いでしょうし、
庭の雑草をみてもらい食べられる種類であれば
雑草を授業料とする事も出来そうです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. シャイニー より:

    江戸末期 寺子屋がありましたから識字率を ロシア皇帝も驚いていたと思います。
    神社には幾何学の難問を解いて見せた❗️と絵馬がかかっています。
    世が乱れなかったのは清廉な民草あってこそ
    日本の価値を知るのは外国人 来れなくなってもコミュニケーション法はありますから
    不確定な時代 温故知新 温故地産がいいと思います。

    • Katsuyoshi より:

      寺子屋の教育水準がどの程度だったのかは、
      カリキュラムの原文を読んでいないと判断できませんよね。
      一応、四書五経なり読めるものは目を通しましたが、
      一般に言われているものは原文を読むと違った話が多いので、
      少しづつ書いていこうと思っています。

  2. シャイニー より:

    ちょうど今朝 草刈りをしてましたが 此から食糧難だから ペパーミント よもぎはとっておこうと考えながらでしたら やった感ゼロになってしまいました
    YouTubeで 何かレシピ探そう絶滅するぐらい食べつくそうと思いました✨
    干乾しネットを初使い カモミールを干してみましたが 夕立に遇い台無しです 日本の夏がやって来ました

    • Katsuyoshi より:

      食糧危機の警告は前からされていますが、
      コロナで買い占めがある状況を見ると対策は合格水準ではないようですね。
      ロシアでは一家四人分程度はダーチャと呼ばれる週末農業で
      自給自足をして牧歌的な生活を謳歌しているようですが、
      日本も余裕のある内に対策する人が多く出る必要がありますね。