水神の詩

古代中国の詩を集めた『詩経』には、
水神への詩が幾つも残されていると言われます。

私が水神に関心を持ったのは公園の池を散歩していた時でした。

池のそばにオレンジ色のプラスチックの塊のような
見た事のないものが置いてあったので近づいてみると、
亀がひっくり返り倒れていました。

苦しいような顔つきで手足や首を縮めて息を潜め、
干からびないよう必死で延命しようとしていたので、
甲羅をつかんで池に放すと逃げるように潜っていきました。

しばらく池のそばで佇んでいると、
吹いてきた風で池の水面がこちらに道のように波立ち、
何かがこちらに向かってくるような景色を見ていると、
詩経に歌われる水神が祭祀場にやってくる状況に
似ているように思って眺めていました。

池の奥に神社があったのを思いだし、
水神が祀ってあったような気がしたので参拝にいくと、
水神社があり亀を助けた事に感謝しているような雰囲気を
感じることができました。

それまではただの池としか思っていなかったのですが、
池の水面に吹いた風でできた涙に日の光があたり、
美しく輝いている姿を目にする事が多くなり、
縄文時代のアニミズムは自然とこんな関係を
楽しんでいたような気がしています。

古代中国の都市開発は風水の名で知られていますが、
以前は「地理」や「甚輿」などと呼ばれるのがメインで、
清朝以前に「風水」の字を含む書はあまり見当たらず、
歐陽純の「風水一書」だけが風水の名を使っています。
風水の名は『葬経』の一節に登場します。

「気乗風則散 界水則止 古人聚之使不散 行之使有止 故謂之風水」
「気は風に乗れば則ち散り、水に界せられば則ち止る。
古人はこれを聚めて散らせしめず。」

また、『葬書』よりも古いとされる風水の古典『狐首経』には、

「得水為上 蔵風次之」
「水を得るを上とし、風を蔵するを次とする」。

土地の繁栄には良質の気が満ちているのが重要で、
水に気が止まるので水を重視していますが、
利害で水をどうすれば良いかを考えるのではく、
水との関係を大事にするのが重要ではないでしょうか。

池のまわりに美しい花が咲いていても気付かず、
池で騒いでタバコやゴミを捨てていけば
池も良い気分にはならないでしょう。
ゴミを拾って池の美しい景色を楽しめば、
池の気が良くなり地域に益をもたらすかも知れません。

人間は水がなければ生きていけず、
21世紀は水争奪戦になりかねない要素があります。
古代中国では山の神・水の神を祀りますが、
日本でも川や池などに水神の社を見る事が出来ます。
見かけたら生かしてもらっている事に対する感謝で
参拝してみるのも良いかも知れません。

身近にありすぎて大切さを忘れているものは多いですが、
無くなってから大切さに気づくのではなく、
普段から良い関係を築けば豊かな人生がおくれます。
良いことがないと思っている人は、
自然への感謝から始めてはいかがでしょうか。

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