神社とテーマパーク

江戸の有名寺社はワンダーランドでもあったようです。
参拝客を相手に各種の店が門前や境内に軒を連ね、
安永九年(1790)の浅草寺の境内には263軒の店があり、
飲食店や、雑貨店・芝居小屋・見世物小屋だけでなく、
富籤(とみくじ)や相撲も行われていたようです

店や小屋の営業主から冥加(みょうが)金が支払われ、
寺社の重要な財源となっていたようですが、
現代ではこのようなイメージは持たれていません。

靖国神社も元々は招魂社と呼ばれ、
神社より先にハイカラな高灯籠が建てられ、
近代的・文明開花をテーマにした一大記念公園として
日本一の見せ場となっていたそうです。
例大祭では日本初の近代競馬や近代的博覧会などが開かれ、
大祭前後には、のぞきからくり、オートバイ曲乗り、
ろくろ首、蛇女、活動写真 (映画)などで賑わう
レジャーランド・テーマパークでした。

戦争により政治の関与が始まり、
当初の路線は強引に変更されたようですが、
1946年に就任した筑波藤麿宮司は
靖国神社を中央とする娯楽街を構想しても
東京新聞のスクープで頓挫したそうですは、
靖国文化講座の構想は順調に進み、
柳田國男が講演で地元の人々の氏神を祀る提案をし、
7月13日の宵宮と14~16日の祈暦の盆踊りとともに
「みたままつり」が翌年から始まり、
二万五千の提灯が並ぶ光の祭典として
数百万の人々で賑わう夏の風物詩となったそうです。

A級戦犯合祀などのイメージの強い靖国神社ですが、
以前のイメージを忘れ去られた日本文化は
まだまだ多いのではないでしょうか。

江戸時代には武士や僧侶、神官などが寺子屋を開き
現代の宗教界とは違うモデルの運営がなされていたようです。
僧侶が儒教経典を印刷するなど儒教との関係も悪くなく、
二宮尊徳も神道・仏教・儒教の本質は一つのものとしていました。

寺子屋や農作物のトレードやマーケット、
全くなどの無形文化財の学習、テーマパークなどの
様々な要素を取り古くて入れた新しい神社経営を模索するのは、
政教分離で建て替えの費用を賄うのも厳しくなった
神社経営に必要な時代的な課題なのかも知れません。
地域への貢献に対する期間限定の地域通貨の流通なども、
神社を中心として行う事はモデルの一つとして面白そうです。

元禄年間(1688~1704)には風流な文化があり、
茶店や神社境内などが見合い場とされ、
連れられて来た女性の姿を陰から男性が観察し、
男性が気に入ると仲人を通じて扇子を女性に渡したそうです。
もう一度復興させても良い文化だと思いませんか。

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