ゴルギアス

民主主義の源流である古代ギリシャでは、
弁論術を身に付ける事で立身栄達をし、
口先だけで都合の良い事を言って権力を得た後、
自分の欲望のために権力の乱用を求める者が
数多く出てきました。

ギリシャの行く末は歴史を見れば分かりますが、
ソクラテスはこの状況に対して、
軍事を含めた様々な議論をしています。

プラトンはソクラテスが対話する形式の本を
何冊も書き上げていますが、
初期の生々しい議論を繰り広げる作品の中でも
現代に肉薄しているのが『ゴルギアス』です。

ソクラテスはゴルギアスと弁論術について議論しますが、
ソクラテスに矛盾を示されポロス・カリクレスがそれに続きます。

最後のカリクレスは強者が弱者を食い物にする事を正当化し、
法律は弱者が作ったもので強者はそれを破ってもいいと主張。
底の抜けたバケツのように飽くなき欲望を充たすために
手段を選ばず自分さえ良ければいいと本年を丸出しにし、
哲学者に対してマウントを取りに来ます。

若い年頃の者が哲学をしているのを見れば、
ぼくは感心するし、それはふさわしいことだと思う。
そしてそういう人間には、
何か自由人らしさがあるように思うのだ。
これに反して、この年頃に哲学をしないような者は、
自由市民とは思えず、将来においても決して、
立派なよい仕事をする見込みの全然ない者だと思う。
しかしながら、実際、いい年になってもまだ哲学をしていて、
それから抜け出ようとしない者を見たりするときに、
ソクラテスよ、そんな男はもう、
ぶん殴ってやらなければいけないと僕は思うのだ。
なぜなら、そういう人間は、さっきも言ったことだけれど、
いかによい素質をもって生まれて来ていたところで、
もう男子たる資格のない者となってしまっているからだ。
かの詩人が男子たるものの栄誉を輝かす場所としてあげている、
あの一国の中央の、人の集まるアゴラを避けて、
社会の片隅にもぐりこみ、
三、四人の青少年を相手にぼそぼそとつぶやくだけで、
その余生を送り、自由に、大声で、
思う存分の発言をすることもなくなっているからである。

ここまで痛烈な哲学者批判を書いているからこそ
プラトンの著作は現代にまで残っているのか、
空理空論の建前論を哲学だと思っている人には、
中々に斬新な一冊になると思います。

この本にはソクラテスの晩年についての暗示もあり、
ソクラテスは最終的に処刑にされましたが、
ソクラテスとカリクレスのあの世の行方について
知る術はありません。

ソクラテスの議論の進め方は
現代でも非常に参考になるもので、
相手に対する礼儀を弁えつつも
生々しい議論を繰り広げる『ゴルギアス』は、
ハイレベルな知的興奮が味わえる読み物としても
一見の価値ありです。

手段を選ばず勝ちを求め結果に責任を持たないのを
議論だと考えている人が多い現代にも参考になりますが、
教育ディベートではコインを投げた結果で
肯定・否定側のどちらもしないといけなかったり、
ジャッジに向けて説得しディベーター同士は質問するだけ、
フォーマットに従い時間内に話をまとめる、
より良いプランを出して勝負するなどの条件があります。

寺子屋では論語を素読させた後に、
みんなで様々な解釈を出させ、
出し尽くした後に解釈したそうです。

知識量を増やしても議論のレベルが最底辺な
現代日本の教育を見直すのに、
この周辺は面白い課題になると思います。

東京大学も世界のトップクラスでは無くなった現代、
教育内容の質そのものを見直す必要がありますが、
歴史的な見識が低いと近視眼的で薄い結論になりかねません。

古代ギリシャの知的水準が徐福により日本に輸入され、
三遠の古代王朝で華開いていたとすれば、
愛知県の名の如く叡知を求める学術機構があり、
高度な知的研鑽がなされていた可能性があります。

これらの歴史を深く研究した上で
それを踏まえた教育がなされれば、
本来の強さを生かせるのではないでしょうか。

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