農耕祭祀と詩

旧説によると『詩経』の諸篇は、
殷・周王朝から春秋期にかけ、
黄河流域を中心とした各地から
集められものとされており、
古代青銅器文明の精神に
触れられる可能性を秘めます。

詩は祭典から、
神を祀る事から発生した

と赤塚忠氏が定義されていますが、
後に儒教におかしなイメージが
付随してしまった事により、
この精神が歪曲して解釈された
可能性が高い経典となっています。

近年は詩経の研究における
アプローチが見直され、
新たな解釈が出ていますが、
本格的な研究の流れを出す
必要のある経典ですね。

孔子は詩を重視したとされますが、
単なる道徳論を越えたレベルの
古代祭祀に認識が及んでいたら、
儒教の解釈が全く変わります。

徐福が儒教の六経を持ち込んだ事が
『神皇正統記』で語られており、
紀元前二百年頃の銅鐸時代から、
この国にも神祭りのための詩が
歌い舞われていたのでしょうか。

ここには季節の神を迎えたり、
天地と調和した都市開発や、
水神への祭祀の詩などがあり、
農耕祭祀の思想も分かります。

経世済民の基本は重農であり、
農業は人力のみでは成り立たず、
太陽や水、田の神、祖霊、
稲の精霊などの様々な存在が
関与し成り立っているとします。

これらを疎かにしたとしても
干魃一つで飢餓となりかねず、
兵糧攻めにあえば国が破綻し、
その時に神に恨み事を言っても
身から出た錆でしかありません。

普段から関係を大切に育んでいき、
共に喜び会う姿こそが国家としての
健全な在り方とされたのでしょう。

抽象論のみでは話が進まないので、
具体的に詩を検討していく事で
現代の農業見直しをしないと、
根本が西洋合理主義の範疇から
抜けられない可能性がありますね。

詩は様々な現場で歌われており、
農に取り組もうとするのなら、
一通り知った上で取り組めば、
自家栽培においてですらも、
得られる物はありそうです。

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