農業と地鎮祭

地鎮祭と言うと建築する時に
行われる物と考えるのが
一般的になっていますが、
農業にも地鎮祭が存在します。

その土地には多くの微生物や
植物が繁茂して生態系を作り、
一つのシステムとして機能する
バランスの取れた状態にあり、
ここに侵入する事になります。

人間の一方的な都合により
生態系に合わない草を植えたり
草や虫を殺したりするので、
バランスを崩す事によって、
様々な弊害が起こりかねません。

新参者が話こせずに侵略し、
先住民を駆逐し都市を作る様な
不遜な行為になりかねない
危険性が存在するのでしょうか。

形だけ礼儀を通しておけば
何をしても良いと言う話には
ならないのが普通ですが、
大地が何も言わないからと
道理に反した事をしていけば、
良くない結果が出てきますね。

農耕祭祀で地霊の許可を貰い、
道理に沿った農作業をする事は、
現代では発想の外にありますが、
昔は普通に行われたのでしょう。

日本にも農耕儀礼は残されますが、
詩経を見るとカタシロとなる人が
神の仮面を株って祭を一緒に
楽しむ事をしていますね。

これは花祭にも見られる事で、
鬼神がマジカルステップで
大地の力を呼び起こしたり、
明治までは託宣まで行われ、
自然の神々と交流していました。

鬼の面は呪物として厳重に扱われ、
修験者は祭に多くの神々を呼び、
祭が終わっても帰らない霊を
刀で追い返したりしています。

田神や地霊などの言い分を聞き
これを農作業に反映したのなら、
本来の農耕は自然界の神々と
共同でクリエーションしていく
儀礼的な物だったのでしょうか。

新興宗教的な話ではなく、
歴史的にこのような儀礼が
行われていたのであれば、
歴史研究によりその価値を
復興出来る可能性はあります。

自然から搾取する贅沢により、
地球を崩壊に向かわせている
近代の在り方を根本から
見つめ直すのに十分な価値を
秘めている気配を感じさせるに
十分なものが有りそうですね。

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