江戸時代には優れた農業や政治の
文献が書かれているのを見れますが、
荻生徂徠の『政談』は儒教の影が見え、
詩経について記された箇所があります。
『詩経』の「大田」の篇には
かしこに落ちた稲束あり、
ここに落ち稲穂あり、
これ寡婦の利なり。
と言っている。
百姓が収納をする時、
所々に稲束・稲穂が落ちているのを、
その村に住むやもめや女などは、
それを拾って所有する事が定められ、
盗みなどは中々名も付かない。
古の『詩経』の時分より今の日本も、
田舎はこのようなものだ。
都は田舎にも劣りカンナ屑を拾っても
盗みというのは如何なる治の風俗か。
と江戸時代の風俗について語り、
農村文化を考えさせられますが、
詩を持ち出して説得するのは
儒教経典にも見られるもので、
現場ではこうやって詩を使います。
本場では歌うような感じで
詩を用いていたとすれば、
感性に訴える力はより強く、
日本だと和歌等を使った方が
効果的なのかも知れません。
後醍醐天皇これを重視したのも
政治的な意味合いがあったそうで、
もっと現代でも見直す価値が
認識されても良い気もします。
何故か万葉集は三遠と深く関わり、
ここも掘り下げたい所ですが、
まずは基礎固めからですね。