『詩経』の分類の一つである国風は、
様々な議論がなされて来ています。
朱熹は国を諸侯が封じられた地域、
風を民族歌謡の詩としており、
詩序に風は風なり教なりとある事から、
風が物をなびかせる様に、
教化が人々に及ぶ事を風とします。
赤井真氏の説は「風」は「凡」と
同音である事から用いられた漢字で、
祖霊や神霊を降し招く祖先祭や祀祭礼の
凡祭をを意味しているとします。
『論語』先進篇にある春の予祝儀礼で
暮春には、春服既に成り、
冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、
舞雩に風し、詠じて帰(饋)す
と凡祭の様子と風で凡祭を指す事から、
殷・周代には風が凡であった事を
主張されているようですね
赤塚忠氏は『詩経研究』において、
『風』という名は、風俗・風諌・巫風その他、
いろいろとその基本とする意義について
探索されているけれども、
それらはいずれも風という字に
写定された以後について
解釈しているものであって、
原義ではない。
殷代には、降神・招神することを
一般に凡(はん)といい、
特にその儀礼を考凡(こうはん)といっていた。
『風』はこの音を写したものに過ぎない。
凡が降神・招神を意味することは、
戦国時代以後はほとんど忘れ去られたが、
同音の般に、般遊・般楽などと
その引伸義が残っている。
般遊は、神を迎えその神が神遊びすることから、
般楽は神を招いて歌舞して楽しむことから
来ているとしなければならぬ。
『詩経』のうちには、考凡という語を用いて、
その古い儀礼を伝えているものさえある。
と「考槃」の詩を引用しています。
雅・頌が朝廷の宗廟を舞台としたのに対し、
凡は地方の都市や村落の社や聖地を
発生基盤とした神降ろし・神招きの歌を
原型とすると家井真氏は記述します。
雅・頌・凡は本来祭祀で用いられた
呪力のある言霊であったなら、
徐福王朝の祭祀の在り方を探る
重要なキーワードが詩となります。
「パン作っちゃダメだよ」を訳すと、
「パンツ食っちゃダメだよ」とかける
日本語特有の表現が欠落しますが、
中国語で有効な様々な表現技術も、
倭言葉に訳すと消失してしまいます。
音の響きも重視される祭祀で、
ヤマト言葉に原理が適応されて
用いられていたと仮定すると、
詩の研究は原理原則を洗い直し、
それを応用する事にありそうです。