母なる大地の神への信仰は、
ギリシャのガイアのみでなく、
仏教にも存在しています。
堅牢地神(けんろうじじん)は
大地をつかさどる女神とされ、
男女一対とされる事もありますが、
この神は花祭にも関わる事は、
私の著作に書いてあります。
花祭が邪馬台国祭祀だったなら、
農耕祭祀で大地の神を祀る事は、
他国の問題ではないですね。
釈迦は神々に対する言及をせず、
後に他の宗教の神々が習合して
多くの仏像が造られましたが、
ガンダーラではなくヘレニズムの
神であった可能性があります。
ヘレニズムなら徐福由来となり、
アショーカ王の仏教の祭祀が
行われていた可能性が浮上します。
さらっと簡単に書いていますが、
膨大な基礎研究をしているので
言えるだけの事ではあり、
0から説明すると本一冊は
必要になる話ではありますね。
ツッコミを入れたい人は本を読み
具体的に質問して頂く事により
更に研究が進むとは思いますが、
早急に必要十分な研究をしたら、
後は実行の問題になります。
プランターと直植えを比べると
生命力の差が見えてきますが、
大地の生命力とは何でしょう。
花祭では鬼神がマジカルステップで
大地に対する呪術を行いますが、
これは陰陽道等にも流出した呪術で、
霊力と農耕の関係を考える上で、
興味深い事例なのは確かでしょう。
昔は国力=農であったので、
国家の長期的繁栄を考えるなら、
大地との関係が問題となります。
大地の気が高まれば微生物も繁殖し、
植生に大きな影響を及ぼすのなら、
花祭が各地で行われた国家祭祀と
位置付けられていた可能性が
非常に高い物になってきます。
太陽の死と復活に関わる霜月に
行われる事も象徴的ですが、
古代ギリシャの岩開き神話は
農耕に関わる内容であり、
植物が地中と地上に関わる様に、
大地と密接に関係しています。
母なる大地も抽象論でなく、
祭で力を与えられ恵みを齎す
重要な存在として扱われたなら、
自然との調和の概念すらも
見直す必要が出てきそうです。
農業を始める前に地鎮祭をして
後はスルーする類いの話ではなく、
自然の神々とどう関わっていけば
長期的に繁栄するかの答えとして
花祭が存在しているのでしょうか。
これが外宮や三輪山祭祀とも関係し、
鬼神と共に楽しむ姿が見られたなら、
食料自給を考える上で外せないのが
農耕呪術でもある花祭なのでしょう。