詩経の「頌」

家井真氏は風・雅・頌などの
既存の詩の分類の説に対し、
それらの本来の義は別にあると
主張がなされているようです。

頌は容(舞踊)に対応する漢字がないので
共通の発音をする文字が当てられた物で、
周・魯・宋(殷の末裔)の宗廟における
宗教歌舞劇詩を意味したとしています。

『詩経』より前に存在した韻文に
周代の青銅器に刻まれた銘文があり、
これに使用される成語が広範に渉り
頌・雅の成語と類似・対応する事が
データとして提示されています。

銘文の刻まれた鐘は宗廟に常置され、
その音で祖霊を招降せしめる
呪器であったとされていますが、
銘文も儀礼的な意味が存在した
祖霊に対しての言霊なのでしょう。

「頌」は舞容を意味する「容」と
同じ音をする事から用いられ、
頌の諸篇は天子の礼が行われた周、
天子の礼を行う事を許された魯・宋の
宗廟に於ける宗教歌であり、
巫達が奏し歌い舞った物と言います。

祖霊を祀る宗廟で用いられた事から、
それぞれの国の祖霊の偉業を讚えて
祖霊に奉ずる儀礼を行う事で、
更なる繁栄を祖霊に祈願する事が
目的だったとされます。

風水や儒教では先祖の状態が
子孫に影響するとしており、
隠宅(墓)が重視されますが、
火葬では影響が少ないとされ、
現代では効果は若干薄そうです。

巨大古墳で頌が用いられ、
国家の繁栄を祈念した可能性は、
ゼロではなさそうですね。

某神社の山の神の祭に参加したら、
山と言いつつ古墳に向かって
祝詞を詠唱していましたが、
本来はもっと音楽と共に、
歌や舞が行われた可能性も、
十分あるのではと思っています。

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