詩経には南山、二南など、
南の単語が頻出しています。
銅鐸の本に色々書きましたが、
南は方角ではなく国名であり、
古代ヤマトと関係していた
可能性が存在しています。
孔子が強さについて聞かれた時、
北方の強さか南方の強さかと
聞き返したとされていますが、
腕力や我の強さではなく、
責任感や芯の強さこそが、
南方の強さとしていますね。
終南山は山岳崇拝と関係し、
古代ヤマトの御神体山と
関係していると仮定すると、
この国の深層を紐解く鍵にも
成り得る可能性を秘めます。
殷や周などの古代中国と
ヤマトとの関係を探るには、
菅原道真公の研究によって
提唱出来る仮説はありますが、
これはこれで長くなります。
海洋民族たる安曇族が、
これらと交流していたなら、
文化的な繋がりがあっても
不思議はない事になりますが、
貝塚の記事で少し書きましたね。
古代中国では宝貝が貨幣として
用いられていた事がありますが、
安曇族がこれに関わった説は、
一度ちゃんと纏めてみたいとは
考えている所であります。
この宝貝が貨幣としての価値を
消失する出来事があった事から、
貝塚に大量に棄てられたのではと、
記事にした事がありましたね。
貯貝器が銅鼓と関係した事や、
銅鐸と銅鼓の流れ等については、
銅鐸の本に書いておいたので、
興味のある方は読んでみて下さい。