英国入植前のニュージーランドの
先住民とされるマオリ人の間で、
サツマイモ(クマラ)の初物を
サツマイモの神・ロンゴの息子
パニに供えると言う宗教的祭儀が
行われていた記述が残されています。
クマラの収穫は神聖な物として扱われ、
栽培に従事する者はすべて神聖視され、
そこを離れたり他の仕事に携わる事が
タブー視されていたと伝えられます。
マリオ人だとサツマイモより
キノコを食べて火を吹きそうな
勝手なイメージがありますが、
サツマイモとジャガイモは
同じ種類ではないものの、
ジャガイモの霊への信仰も
存在しているようですね。
現在のサザランドシャーでは、
新ジャガイモを掘った時に
家族全員が味わわないと、
ジャガイモの中の霊が立腹し、
保存が利かなくなるそうです。
ニンジンの花を咲かそうとして
スーパーで買ったニンジンを
土に埋めた事がありますが、
独特な雰囲気を放って腐蝕し、
何か言いたい事があったのか
身の毛の弥立つ思いをしました。
食べ物を大事にしないと罰が当たると
子供の教育に使われそうな話ですが、
穀物の霊とも対話するアニミズムでは
案外普通の事とされていそうです。
こう言った話を聞くと食事の前に
いただきますと言う伝統にも、
別の側面を感じさせてきますね。
作物の神や精霊に対する敬意は、
農業の工業化で忘れされらた
古代世界では普遍的なもので、
現代の方が異常なのでしょうか。
金さえ払えば美味い物が食えると
敬意もへったくれもない文化が
主流となる前の日本においても、
類似した文化が存在した痕跡を
見つける事は可能です。
江戸から明治の変革期において
農耕祭祀の断絶があったなら、
江戸の農業に戻ると言うのは、
現代で言う自然栽培よりも
別の何かがありそうです。
明治以降から祭の場での
託宣が廃止された事もあり、
江戸時代の農耕祭祀の姿は
想像している物でなかった
可能性がありそうですね。