一族による農耕祭祀

詩経の「甫田」に見える農耕祭祀は、
個人ではなく一族による農耕で
どの様な祭祀が行われていたかを
見る事が出来る物となっています。

倬彼甫田 歲取十千
我取其陳 食我農人
自古有年 今適南畝
或耘或耔 黍稷擊鼓
攸介攸止 丞我髦士

以我齊明 與我犧羊
以社以方 我田旣减
農夫之慶 琴瑟擊鼓
以御田祖 以祈甘雨
以介稜黍 以穀我士女

曾孫來止 以其婦子
饁彼南畝 田竣至喜
壤萁左右 嘗其旨否
禾易長畝 終善且有
曾孫不怒 農夫克敏

曾孫之稼 如坻如
曾孫之庾 如坻如京
乃求千斯倉 乃求萬斯箱
黍稷稻梁 農夫之慶
報以介福 萬壽無疆

一章は春の祭で田の祖神に豊作を祈り、
古い穀物を農人に食べさせていますが、
古代ギリシャでも見られたようです。

二章は農耕祭で土地の神・四方の神・
田の祖神に供物を捧げる事によって
恵みの雨を祈り、今年の豊穣を祈り、
一族の生活の安寧を願っていますが、
一族の長がこれを主宰しています。

三章は田の神のカタシロが飲食をして
祈願を聞き豊穣を約束していますが、
神が登場するのは花祭も同じですね。

四章では田の祖神が子孫に豊穣と福祥を
与える流れとなっていますね。

これが仮面を被って舞踊をしつつ
歌われた古代の農耕祭祀の姿なら、
アニミズムとレッテルを貼れば、
断片的な理解で終わりかねません。

古代中国では長が農耕の最初に
神田に鍬を入れる儀礼をする
籍田の礼が行われていましたが、
上杉鷹山も財政再建のために
籍田の礼を行っています。

始まりが全体に影響を及ぼすと
儀礼的な農作業をしていますが、
この詩の儀礼も類似した思想を
感じさせてくれる物ですね。

田にも神がいるとする思想は、
日本にも存在していましたが、
微生物等の生態系が存在しいと
農業が成り立たないのであれば、
尊重しなければ傲慢でしょう。

ここでは羊を供物としていますが、
アショーカ王の仏教では動物供儀は
廃止された伝えられているので、
徐福が持ち込んだのなら動物でなく、
他の供物とされた可能性もあります。

花祭でも舞手は肉食が禁止され、
隠れて食べた人が祭場の釜の湯で
死んだ話が書き残されています。

自家栽培においても畑の神や
四方の神、地霊などに感謝し、
誠意のこもった捧げ物をして
豊作の予祝をしてみると、
違いが出るかも知れません。

農業にも地鎮祭がありますが、
地霊からすれば礼儀も無く
道理も弁えない人が種を植えても
豊作にしたいと思えないのは、
当然と言えば当然の話でしょう。

大地が悲鳴をあげているのに、
科学の力で強引に搾取しようと
無茶な事をしてきましたが、
自滅レベル歪みも生んでいます。

近江商人は三方良しと言いますが、
自然や神々などを含めておらず、
本来の農耕祭祀は四方良しの
天地との調和も含まれそうです。

子孫までずっと繁栄を続けるのが
農耕祭祀における祈りであるなら、
後の世代にツケを押し付ける
大地からの搾取による贅沢とは、
根幹からベクトルが違っています。

以前イスラエルに行った時に
飛行機で一緒になった日本人が
キブツに行くと言っていましたが、
土地を持たなかったユダヤ人達が
地に足をつけようと始めた物ですね。

集団農場の経営を考えるなら
フェスティバル的な物も重要で、
これを高度に突き詰めていくと
農耕祭祀になっていきますが、
古代の精神に学ぶ所は大でしょう。

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